朝日新聞マイベストプロ神奈川に掲載開始しました
この度、朝日新聞マイベストプロ神奈川 に掲載を開始しました。
大学卒業後、三年半のビールメーカーでの修行期間に初めて住んだ神奈川県。営業担当として初めて担当したのは湘南・三浦地域。毎日地図を片手に飛び込み訪問した日々を思い出します。厚木支店では伊勢原市、秦野市、小田原市、南足柄市、二宮町、大井町といった県西地域、横浜支社では保土ヶ谷区、南区、磯子区の酒販店、飲食店、最後は川崎市の業務用酒販店と取引飲食店を担当させていただき、多くの家族経営、小規模事業者のお取引先を訪問させていただきました。バブルが崩壊し、酒業界の価格破壊や免許規制の緩和の大きなうねりの中で、当時は苦戦していたビールの営業に加え、高級洋酒市場が一気に焼酎に押される苦しい時代の営業でしたが、いい勉強をさせていただきました。
売りながら調べ、調べながら売る / 顧客を知る
厳しい市場、競合戦略の中で合言葉として取り組んでいたのは徹底的にお客様、売り場を知ること。そして義理や人情ではなく、科学的な手法を用いてお客様のご利益につながる提案営業を展開することでした。泥臭く足を使って一軒一軒、お取引先を歩き、声を聴き、ご提案を重ねる。自分たちの売りたい商品を、売れる状態で、販売していただくための試行錯誤。ブランド力、市場の流れに跳ね返されることが日常的ではありましたが、時として他社ブランドからの切替を決断していただけることもありました。
家業戦士
修行を終えて広島に戻り、20年間「家業戦士」として過ごしました。酒販流通業界の変化は地域の中小小売店、酒問屋にとって大変厳しいものでした。価格破壊、量販店の台頭、免許規制緩和、ネット販売など、地域密着で長年生業を続けてきたお得意先が次々と淘汰されていきます。自らの経営も火の車で常に資金繰り、銀行交渉に追われる日々でした。何度も諦めかけましたが、原爆投下の廃墟の中で生き残った暖簾を絶やす訳にはいかぬと経営を続けました。32才で就任してから12年でしたが、お取引先、社員、金融機関などの協力のおかげで何とか立て直すことが出来ました。
決 断
経緯はともかく、会社を去る決断をしたのは2015年3月。家族を広島に残し単身神奈川県に移住。都内の大学院に通いながら再起を図ることを決めました。当時の自分が家族の生活を守りながら第二の人生を構想するためにリスキリングが最善と考えました。そう、無一文の元経営者でも教育資金は調達できたからです。幸いにも広島県の支援制度の活用が可能となり、社会人大学生という仕事で生活を続けることが出来ました。
小さな会社の多死社会!?
「社会人大学生」という仕事。多くの学びを得ることが出来ました。中でも前職時代にたくさんのお得意先の最期を伴走した経験から、家族経営、小規模事業者に求められる経営支援事業を構想出来たことです。自身の半生を活かしながら、長く続けられる生業として構想しました。転機はリサーチの中で発見した中小企業の廃業、個人事業主の自殺の統計です。調査を進めていくと毎日のように多くの中小企業が淘汰されており、その要因は、家族経営のような小規模の会社に見合う経営支援者がいないことが原因だと仮説しました。
小児科医がいない!
さらに調査を進めていくと、家族経営、小規模事業者の経営支援に求められる要素が浮かび上がってきました。家族経営、小規模事業者のような小さな会社は人間で言うと子供と同じ、言い換えると大企業、中堅企業は大人です。つまり大人向けの専門医ではなく、小児科医が不在であることが小さな会社の多死社会の要因であると考えました。そして、小児科医のような経営支援者とは、大人のように成熟していない会社の体を熟知した上で伴走する。時に助言、時に代行、時に補佐といった立ち振る舞いが出来ることだと考えました。
経営者はアスリート
現場の仕事に精通した小規模事業の経営に関わる方は、大企業の経営者のようにデスクワークの時間は少なく、現場での業務(生産、接客等)を優先して行われています。財務諸表を分析したり、セミナーや勉強会で知識を深める時間が十分に取れない方が多いです。経営者と言えどもスポーツでいえば監督、コーチよりプレーヤー、アスリートに近く、端的で分かりやすく、現場の仕事に示唆を与えられるような情報提供、対話型の支援が必要であることと考えました。
気づきのコンサルティング
そして、経営状態を様々な数字、データから把握し、気づきとしてご経営者にお伝えし、対話を繰り返すこと通じて、その因果関係、理解を深めつつ、振り返り、目標設定、意思決定をお手伝いする経営支援法を確立し、ビジネスストレングスコーチング®と名付けました。単に財務諸表を分析するだけならAIで十分だと思います。しかし、財務諸表は結果であり、その要因や過程、その会社ならではの強み、特徴まで把握することは出来ません。ビジネスストレングスコーチングでは、現場の動きを様々な数字から調査し、財務諸表との因果関係を把握します。大切なことは現場の肌感覚との融合。いくら精巧な分析をしたところで、事業主、現場の方がピンとこなければ意味がありません。野球のピッチャーが投球の度にコーチが持つタブレットで球速、回転数などを確認する様子を思い出してください。コーチやスコアラーのように、現場で働くアスリートタイプの経営者に求められる数字の並べ方、そして伝え方を研究していきました。
あの時、傍にいてほしかった支援者
家族経営のご夫婦、親子、社員などが携わる経理、財務経営管理業務を補完し、社員、取引先、銀行、税理士といった関係者との関係性を良好にする伴走役、世話役のような仕事。それは、跡取りとして事業再生の現場で否応なしに求められる決断の連続の中で感じ続けていた危機感と孤独感が原点です。誰にも言えない悩みを分かってくれてる人がいないことが最大の悩みでした。あの時の自分の傍に居てほしかった経営支援者を目指して再起を図ることを決めました。
最後に
神奈川県に移住して10年になります。独身時代を含めると第二の故郷になります。お陰様で関東エリアにもお客様をいただけるようになり、改めてご挨拶の機会を作りたいと朝日新聞マイベストプロさんへの掲載を決めました。褒められる人生ではありませんが、丁寧に話を聞いていただき、過分な記述をしていただきました。家族経営、小規模事業者の方に少しでもお伝えできれば幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。